将来そうなってほしいという希望や期待、確信を持った推測のことを「見込み」といいます。
恋愛においても、付き合える見込みがあるかも、なんていう話をしたことがあるのではないでしょうか。
この見込みについて、少し違った視点で見てみたいと思います。
ビジネスにおいては商品やサービスに関心があり、購入してくれる可能性があるお客様を見込み客として呼びます。
恋愛においては先ほど述べました通り、付き合える可能性がある場合、結婚する可能性がある場合に、見込みという言葉を使ったりします。
見込みの要素としては、「認知」しているかどうかという点があります。
ビジネスにおいては商品やサービスをお客様が知ってくれているか、知っていて問い合わせなどがあるのであれば購入してくれる可能性があります。
恋愛においてもあなたのことを相手方が知ってくれているか、知っていて遊んだり、話をしたり、連絡をしたりしているのであれば恋人になる可能性があります。
認知しているかどうかでアプローチが変わってきます。
認知されていない場合には認知してもらうことから始めなければなりません。
恋愛においては、話しかけてみるというところから始まります。
知ってもらうことで次のステップに行き、そこで初めて見込みが出てきます。
将来どうなるのかという見立て、願望が出てきます。
それすらない場合は、妄想という感じでしょうか。
将来そうなりたいという希望や期待、確信、推測が見込みであれば、将来の話をしていることが前提となります。
将来の話は現世だけではありません。亡くなった後の来世についてもない話ではありません。
死後の世界が存在するのかどうかは不明ですが、漫画やアニメ、ドラマなどフィクションからして、人がなくなるとその霊が天国に行くか、地獄に行くかを閻魔様が決める。天国に行けた人は雲の上へ、地獄に行く人は暗闇の中へ、そして輪廻転生というような感じかと思います。
閻魔様は一般的に冥界の王として死者の生前の罪を裁く神様とされます。
良いことをした人・徳を積んできた人は天国へ
悪いことをした人・罪を犯してきた人は地獄へ
シンプルに分類するとこのようになるのでしょう。
良し悪しなど人それぞれですから、どんなことをしたら良いことで、どんなことをしたら悪いことになるのかは社会の常識との兼ね合いになります。
社会の常識から考えて良いことをしてきた人は天国へ、外れてしまった場合は地獄へ。よくよく考えたら悪いことしてきた人と閻魔様が判断した場合、その人も地獄に行くのかもしれません。
このほかにも地獄行きは賛否が分かれるかもしれませんが、天国へ行った人は輪廻転生の可能性が高いととらえると、閻魔様でも取扱いに困るであろう人がいます。
それが来世に「見込み」が立たない人です。
別に悪行を重ねてきたわけではないが、流れるままに人生を過ごしてきた人です。
良い行いをしてきた、社会に貢献してきた、頑張って生きてきた、それなりに人生を謳歌してきた、就職してみた、事業を立ち上げてみた、恋人を作ってみた、結婚してみた、子供が生まれ育てた、家族を作った、人生様々な出来事があります。
そのどれもを面倒くさいと考え、積極的に動くわけでもなく受動的に過ごし、無気力とまではいかないものの何となく過ごし、流されるままに生きてきた場合、どうでしょう、
来世でもそのような過ごし方をすると見込まれるのであれば、他に頑張っている人を輪廻転生させようと多くの人は考えるのではないでしょうか。
何かの功績を残すとかではなく、せっかく人として生まれたのであれば、人としてできる多くのことを経験した方が良いのではないか、そうしておいた方がもし生まれ変わった場合、生きやすくなるのではないでしょうか。
生きやすいから頑張れる。そんな見込みがある人ならもう一度生まれ変わらせてもらえる。
そんな風に考えることができますから、閻魔様にそう認知してもらい、来世への見込みがある奴と思ってもらった方がいいかなと思います。
今回は違った視点で、「見込み」について考えてみました。
一度きりの人生、楽しんだもの勝ちという言葉があります。
何か行動を起こす、結果として楽しいものとする。
人生楽しいことばかりではありませんが、自分なりに楽しいと思うことを一生懸命やる。
そして、人として生まれたからには何か社会貢献的なこともやる。
これが社会貢献だというものである必要はありません。
一生懸命勉強してみる・働いてみる、一生懸命家族を作り・守ってみる、親や友達を大切にする、なんでもいいと思います。
その積み重ねが「経験」となり、来世への「見込み」となり、輪廻転生へとつながっていくものと考えます。
恋愛もその一つだと思います。待っているだけではなくアプローチもかけていく、
恋人になるかもしれないという「見込み」もそうですが、来世への「見込み」ができる行動となります。
時には愚痴を言いたくなるかもしれません。
愚痴を言ったからと言って、来世への見込みがなくなるわけではないと思います。
何か愚痴を言いたくなった時には、ご連絡ください。